【あの開発者はここにいた!】第2回: 伝説の名作『キャプテン翼』を手掛けた鶴田道孝氏に聞く!
『キャプテン翼』の名ゼリフ「くっ!! ガッツがたりない!!」はスタッフの口ぐせだった
テーカンおよびテクモ時代に、アーケードやファミコン用ソフトの名作を多数手掛けていた鶴田氏。
そこで養った技術や経験は、現在のスマホ用ゲームの開発にどのようにして生かされているのか? そして、現在のスマホ用アプリで収益を得るにはどんな難しさがあるのだろうか?
今だからこそ話せる往年の名作におけるエピソードや、同氏の最新作もいち早くご紹介しよう。
1982年にテーカンにアルバイトとして入社し、アーケードゲーム『スイマー』の開発を担当。その後、同社の社員となり、『ガズラー』『ボンジャック』『ソロモンの鍵』『キャプテン翼』など、数多くのアーケードやファミコン用ソフトの企画・開発を行った。現在はフリーランスの開発者として活躍中。
――本日はお時間をいただき、ありがとうございます。まずは鶴田さんがゲームに興味を持ったきっかけから教えていただけますか。
鶴田道孝氏(以下、鶴田):子どものころにあったトランプみたいな野球ゲームが、おそらく最初のきっかけでしょうね。
確か、カードを引いて、ヒットと書いてあったらランナーが出て、守備側がダブルプレーを引いたら2アウトになるみたいな、カードの指示に従って遊ぶゲームになっていました。
選手のパラメータや相性などのデータは全然ないシンプルなものでしたが、すごく好きでよく遊んでいました。
あとは紙に書かれた2次元の迷路も好きで、自分で作った迷路を大学ノート2~3冊にビッシリ書いたりして楽しんでいました。
それから、『テトリス』のベースになったパズル『ペントミノ』もよく遊んでいました。
実は『ペントミノ』との出会いから、その解き方が全部で何万通りだか何億通りだかがあることを計算できるコンピューターという機械の存在を初めて知ったんです。
そのことから、コンピューターそのものにも興味を持つようにもなりました。
――子どもの頃にハマったビデオゲームはありますか?
鶴田氏:最初に遊んだのは『PONG』(※1)ですね。あとは『ルナランダー』(※2)とか、これと同じような仕組みで慣性の法則が働くキャラクターを動かす『ギャラクシーウォーズ』(※3)も、操作が難しかったけれど大好きでした。
『スペースインベーダー』もブームの頃はもちろん遊んでいましたが、特にハマったのは『ギャラクシアン』です。
※1:『PONG(ポン)』:アタリが1973年に発売した、ボールを2人で打ち合うゲーム※2:『ルナランダー』:アタリが1979年に発売した、ロケットを操作して月面着陸をするゲーム※3:『ギャラクシーウォーズ』:1979年にユニバーサルが発売した、ミサイルを操作してUFOに命中させるゲーム
――そんなゲーム大好き少年だった鶴田さんが、やがてビデオゲームの開発に興味を持つようになったのはなぜですか?
鶴田:大学生のときにPC-8001というコンピューターを買って、自分で『PONG』と同じようなゲームが作れないかと思ったり、『マイコンBASICマガジン』などの雑誌に載っていたプログラムを打ち込んでゲームが遊べるようになったりしたことが理由です。
あとでプログラムの変数を自分でいじってみるなど、いろいろ改造して遊んでいましたね。
――すると、学生時代にはもう独学でプログラムのやり方を覚えしまったということですか?
鶴田:ええ、これでBASIC(※)はひととおり覚えましたし、ハンドアセンブラを使って、プログラムの処理が遅いところを自分で改良して速く動かせるようにしたこともありますよ。
※BASIC:初期のマイコン時代における代表的なプログラミング言語
当時、『スネーキー』というゲームがありました。カエルを食べると自分の体が長くなるヘビを動かして、途中で曲がる向きを間違えると自分の頭が尻尾に当たってゲームオーバーになるとい内容だったのですが、このゲームの動きがかなり遅かったんです。
そこで、いろいろと自分で調べてみたら、キー入力の部分で処理が遅くなっているのではと気がつきまして、自分でマシン語に書き替えたら処理速度を上げることができました。
動きがゆっくりしていると、次にどこに行けばミスを防げるのかがすぐにわかってしまうので、それだとゲームが面白くなくなっちゃうんですよね。
――ハンドアセンブラで改造までしてしまったとは! ではゲーム会社に就職、あるいはゲーム開発の仕事を始めようと思った出来事は何だったのでしょうか?
鶴田:大学2年生の春休みに、当時の「アルバイトニュース」に載っていたテーカンの求人に応募して、アルバイトとして採用されたことですね。
――ということは、いわゆる就職活動はせずに、そのままテーカンの社員になったのですか?
鶴田:そうです。当時は比較的融通が利くと言いますか、まあ大らかな時代でしたよね(笑)。
――最初に開発を担当されたゲームは何でしたか?
鶴田:アーケードゲームの『スイマー』(※)です。泳いでいる主人公や敵のキャラクターなどを描きました。
※『スイマー』:1982年にテーカンが発売。川を泳ぐスイマー(主人公)を操作して、敵や流木を避けながらゴールを目指すゲーム。
当時は1個のスプライトで8色、正確に言うと7色しか使えなかったで、どの色を使うのかをまず決めてから16進数でキャラクターの16×16ドットのデータを打ち込んで作っていました。
打ち込みが終わったらROMライターにデータを焼いて、基板に差し込むとキャラクターが初めて見えるようになるので、それを見ながらデバッグする作業を繰り返していました。
今では普通のPCでもフォトショップなどを使えば簡単にキャラクターが描けますけれど、当時はまず方眼紙に絵を描くところからスタートしていたんです。
――『スイマー』では企画も担当されていたのでしょうか?
鶴田:いいえ、私が入ったときには開発がもう始まっていましたので、企画段階から参加したのは『ガズラー』(※)が最初です。
※『ガズラー』:1983年にテーカンが発売。主人公を操作して水を体内に取り込み、炎に向かって吐き出して消していくアーケード用アクション
――当時のアーケードゲームの開発期間はどのくらいでしたか? また、開発スタッフは何人ぐらいいたのでしょうか?
鶴田:開発期間はだいたい6カ月ぐらいです。『スイマー』や『ガズラー』の時代は、確かプログラマーが2人でグラフィック担当が3人、サウンドは1人で作っていたと思います。
今考えると、当時は本当に少人数で作っていたんだなあって思います。
――『ソロモンの鍵』の企画や開発もなさっていたそうですね。本作はアーケード版とファミコン版がほぼ同時発売という珍しいケースでしたが、なぜ同時期にリリースできたのでしょうか?
鶴田氏:最初はアーケード版だけを開発していましたが、後になってからファミコン版も出そうということで決まったんです。
そこで、細かい調整をしたらもう完成というタイミングでアーケード版の開発をいったんストップしてから、ファミコン版の開発を進めようということになりました。
その後、ファミコン版のROM生産が始まって手が空いたところで、またアーケード版の開発に戻って完成させました。
アクションパズルゲームの名作『ソロモンの鍵』。隠れキャラの一種として「折り鶴」が登場する(※画像はファミコン版)
――『ソロモンの鍵』は、主人公がブロックを出したり消したりして高い場所にも自由に行けるのが斬新でした。他に類を見ない、この独創的な発想はどうやって思いついたのでしょうか?
鶴田氏:ヒントになったのは、多分『ロードランナー』だったように思います。
『ロードランナー』は穴を掘って敵のロボットを落とすことができましたが、ただ掘るだけではなくて、ブロックを出せるようにしたらもっと面白いのではないかと思ったことが、基本のアイデアになりました。
実は、最初は純粋なアクションゲームにしようと思っていたのですが、やってみたら難しかったのでアクションパズルゲームにしました。
これは余談ですが、ブロックを頭突きで消すときは1回ではなく、2回ジャンプしてから壊れるようにしてあります。
アーケード版だと筐体によってはレバーが斜めに入りやすい場合があるので、もし間違えて斜め上に入力した場合でも1回だけなら壊れないように配慮したからなんです。
――なるほど! パズルの要素を取り入れた以上、途中で入力を間違えて詰んだりしたら困りますね。それから、ファミコン版に出てくる隠れキャラクター「折り鶴」は、鶴田さんのお名前が元ネタだとうかがったことがあるのですが、本当ですか?
鶴田:本当です。これは「鶴田オリジナル」のアナグラムですね。
ちなみに、鶴田氏が現在作っているスマホ用アプリでは、起動時に折り鶴の絵が表示される
――当時はファミコン専門誌の名物企画として、ゲームの裏技を紹介するコーナーがありました。『ソロモンの鍵』で隠れキャラクターを入れたのは、メディアでも取り上げられるようにという意識が開発段階からあったのでしょうか?
鶴田:そうです。隠し要素は意図的に入れようという社内からの要望が、最初からありました。
――ちなみに、『ソロモンの鍵』の開発スタッフは何人ぐらいだったのでしょうか。
鶴田 ファミコン版は企画、プログラム、サウンドがそれぞれ1人ずつ、合計3人でした。
後になってから、ステージのデザインを手伝ってもらうために何人か助っ人をお願いしたので、実際にはもう少し多いですけれど。
ついでに申しますと、サウンド担当者は常駐していたわけではありませんから、メインの担当者は実質2人だけなんです(笑)。
――それから、テクモ時代には『キャプテン翼』シリーズの開発もなさっていたそうですね。
鶴田:はい。開発をガッツリ担当したのは第1作目と『キャプテン翼II』まで。スーパーファミコン版の『キャプテン翼III』は、監修という形での参加でした。
『キャプテン翼II』の開発段階ではすでにテクモを退社していたのですが、外注という形で、社内にいる人間と変わらないレベルの仕事をしていました。
ファミコン版『キャプテン翼』のアニメーションは迫力満点だった!
――『キャプテン翼』では、どのようなパートの開発を担当していたのでしょうか?
鶴田:試合中のプランニングパート全般ですね。絵を動かすための「絵コンテシステム」のデータは私が全部作りました。
『キャプテン翼II』のコンテシステムの仕様は、前作を元に全部作りました。前作よりも相当強化して、サブルーチンコールまでつけて専用言語みたいになっていました。
別のスタッフが描いた絵を、画面のこの位置からあの位置まで動かすとか、それを何フレームでやるのかなどを、アセンブラのデータを書き込む形で作っていましたね。
例えば、「演算の結果、このシュートはゴールに入るから、その場合はゴールに入るときの絵を流すようにしましょう」とか、そんなシステムでした。
チームや選手のパラメータ類は、当時の企画の係長が難易度のデータを統括する形で作っていました。私もその方と相談しながら、どうやったら難易度が調整できるかというシステム作りをやっていたんです。
――すると、翼君の急激に沈むドライブシュートですとか、あのカッコイイ必殺シュートのボールの動きも、鶴田さんが作ったわけですね?
鶴田:そうです。プログラマーが作った動きの計算式を使って、私が原作マンガを参考にしながらパラメータを作った形です。
それから、第1作の『キャプテン翼』ではちょっとだけしか出てこなかったのですが、地面が斜めになる演出がとてもカッコよかったので、『キャプテン翼II』を作るときは他の場面でもいろいろ出そうと考えて作っていましたね。
――確かに、選手がスライディングタックルなどをしたときに、ピッチが斜めに表示される演出がありましたね!
鶴田:『キャプテン翼II』のときは、最初からピッチが右斜めと左斜めになる絵を全部用意しておこうと思って作り始めました。
そうすれば、タックルする選手の絵を1個作っておけば違うように見せられますし、緊迫感がある場面になったら傾けたりして強弱をつければ、迫力が出て面白くなるだろうと思ったわけです。
『キャプテン翼II』の開発を始めた頃には、もうスタッフのみんなが必要なキャラクター数などをだいたい把握できていましたね。
この構図はいるのかいらないのか、この構図は何フレームが必要だろうとか、ボールの絵は何個パターンがあれば大丈夫だろうとか、最初からベースとなる素材の量のきっちり割り出して作ることができていました。
――ところで、話がちょっとそれますが、テクモ版『キャプテン翼』シリーズでかの有名な「くっ!! ガッツがたりない!!」のセリフはどうやって思いついたのでしょうか?
鶴田:元ネタは、当時のプログラマーの口グセです。その方はゲーセンで遊んでいるときにミスをすると「くっ!! ガッツが足りない!!」と実際によく叫んでいたんですよ。
それで、みんなで開発中にMPが足りなくなったときはどうしよう、サッカーなのにMPではヘンだなあと考えているうちに、「じゃあガッツにしようか、ガッツならピッタリだよね」ということで、もうみんなでゲラゲラ笑いながら作りましたね。
後になって、本人から「何でガッツにしたんだよ!」と怒られましたが、「絶対ガッツの方がいい、このほうがカッコいいですよ」などとおだてて、何とかゴマカシましたけれど(笑)。
これが、当時のゲームファンの間ではおなじみとなっていた名ゼリフ「くっ!! ガッツがたりない!!」の場面
――ここからはスマホゲームについてお聞きします。普段、鶴田さんはどのようなスマホゲームを遊んでいますか?
鶴田:一時期はパズドラを一生懸命やり込んでいましたが、「無課金で強くなるのは厳しいなあ」と思うようになってからはあまり遊ばなくなりました。他のゲームもちょこちょことは遊んでいますが、長時間はやらないです。
自分がゲームを作り始めてしまうと、他のゲームを真剣に遊ぶだけの時間がどうしても取れないという事情もありますしね。
――今までご自身が遊んだスマホゲームの中で、やり込み自慢ができるタイトルは何かありますか? また最近遊んだゲームで、特に印象に残っているものは?
鶴田:私はゲームが全然うまくないので、自慢になるようなものはちっともないんです。
最近遊んだもので面白いなと思ったのは、『壁蹴りジャンプ』というゲームですね。時間つぶしにもちょうどよくて面白いんですけれど、私が遊ぶとすぐに死んでしまうんです……。
鶴田氏がかなり興味を持ったという『壁蹴りジャンプ』。画面をタッチして主人公をジャンプさせ、どこまで高く登れるかを競うシンプルなゲームだ
――個人的に注目しているクリエイターは?
鶴田:先ほどの『壁蹴りジャンプ』の作者は、かなり作り方がうまいなと思いますね。ゲーム中ですごくいいタイミングで広告を表示したり、次のフィーチャーを出すようにしたりしているので、自分も遊びながらいろいろ勉強をさせていただいています。
それから同じ作者の方が、『天空ブランコ』というこれまた面白そうなゲームを作ったようですので、こちらも気になっています。楽しそうだからと手を出したら、きっとまた痛い目に遭うんでしょうけれど(笑)。
――開発者目線で見て、『壁蹴りジャンプ』の作者にはかなりのセンスを感じるということですか?
鶴田氏:ええ。ただ惜しむらくは、私に難易度バランスを調整させてくれとツッコミたくなったことですね(笑)。私にとってはちょっと難しくて、毎回同じところで失敗してゲームオーバーになってしまいますので……。
おそらく作者の方はゲームがとても上手で、それを基準にして作ったのではないかと思いますが、イージーモードが別に用意してあったらもっとよかったかもしれません。
『壁蹴りジャンプ』と同じ作者が作ったジャンプアクションゲーム『天空ブランコ』が気になると、鶴田氏は語る
――では、鶴田さんご自身がスマホ用ゲームの開発をしようと思ったのはなぜですか?
鶴田:以前にFlashで作った別のゲームを知人に見せたら、「iPhoneで出してはどうか」とアドバイスをもらったのがきっかけで始めました。
最初に作ったのは『Astro Zill』(※)という2009年に出したパズルゲームで、ちょうどiPhone 3GSが出始めた頃に作りました。完成するまでは、とにかく大変でした……。
ボールを吸い込んだり出したりして、同じ色のボールを4つそろえて消していくパズルゲーム『Astro Zill』
――開発に苦労されたのは、従来のアーケードゲームや家庭用ゲームなどと勝手が違うからということでしょうか?
鶴田:いいえ、プラットフォームの違いではなくて、初めて本格的に自分でプログラムを組んだからです。
マニュアルは英語だし、関数の表記とかがやたら長かったりして、もう「ナンジャコリャ!?」というようなObjective-Cしかありませんでしたので、始めたころはスプライトの表示方法もわからなくて。
「これじゃまるで苦行じゃないか!」とヒィヒィいいながら勉強していました。今はもう慣れましたけどね。
――では、テクモ時代に培った開発のノウハウが、今のスマホ用ゲームの開発にはあまり役立っていないということですか?
鶴田:そうではないんですよ。今まではプログラマーに依頼して作ってもらっていたのを、これからは自分で作ることになったという違いだけが、大変だっだということです。
逆にいいますと、プログラムさえちゃんとできるようになれば、あとは以前と同じように作れるということですから、過去の経験はちゃんと役に立っています。
昔の『ソロモンの鍵』を作った時代と、iPhone用の小さなゲームの開発規模はだいたい同じぐらいなんです。
元々は絵も自分で描いていましたし、データの作り方なども基本的には昔と大きくは変わりませんので、「この組み合わせにすれば、こんなものができるだろう」というイメージをしながら仕事ができていますね。
――昔の少人数体制で仕事をしていた経験が、今になって役立っているんですね!
鶴田:はい、自分ができていなかったのはプログラムの技術だけで、それ以外は自然とトレーニングされてできるようになっていたわけです。
プログラムに関しても、以前からC言語などは遊びで触っていた経験はありましたし、X68000(※)でシューティングゲームを作った経験もあったので、ゼロからのスタートではなかったのも役に立っていると思います。
※X68000:シャープ製のPC。アーケードゲームの基板にも匹敵する、高性能のスプライト表示機能などを持っていたことで有名
――スマホデビュー以降は、ずっとスマホ用アプリの開発だけをしているのですか?
鶴田:いえ、最初は他の会社の仕事を手伝いながら、空いた時間を利用して作っていました。
その後、よく仕事をもらっていた会社からの依頼が少なくなった時期がありましたので、「じゃあ、もう少し力を入れてやらなければ」と思って、本格的に作るようになりました。
――最初に作った『Astro Zill』は有料販売だったのでしょうか?
鶴田:そうです。その次に出したアプリからは無料にして、iAdを使って広告を出す形やゲーム内課金を導入したのですが、売り上げは正直厳しかったですね。ある程度はガチャなどの仕組みがないと、なかなか利益にはつながりにくいようです。
以前にも『にゃお~ん天国』という、ゲーム内課金でネコのアルバムを追加できるタイトルのプログラムを作ったことがありました。
『にゃお~ん天国』は、足跡と一緒に演奏される猫の鳴き声を覚えて、同じ順番で足跡の場所をタッチしていくリズムゲーム
昔あった『サイモン』(※)みたいな、音が鳴った順にボタンを押していく記憶ゲームにネコに写真をくっつけたら売れるかな? かわいいネコの写真が追加されたら売れるかな? と思いついて知人と作ったのですが、なかなか売れなくて……。
※『サイモン』:4個のボタンが光った順番を記憶し、その順番どおりにボタンを押して遊ぶという電子ゲーム
実際にはアルバムよりも、アクションゲームでいうところの自機のストックのほうが売れたんですよ。おそらく、ステージをクリアすると新しいアルバムが追加される仕組みになっていたからだとは思いますが。
――ただ課金の要素を入れただけでは、簡単には売上は上がらないんですね……。
鶴田:ですので、例えばガチャとかを消費するシステムを導入するにしても、あらかじめ入念に作り込んでおかないと、利益につなげるのはかなり難しいと思いますよ。
――鶴田さんが最近リリースされた作品として、パズルゲームの『福猫星送り』があります。
鶴田:このゲームは連鎖がキモになっていますので、連鎖ができたら気持ちよくなるように、スパークが飛んで星に当たって呪いが消える一連の流れや音などを、もうしつこいぐらいに調整を繰り返して作りました。
それから、呪いは弾を撃つ前に鼓動をつけたり、さあこれから撃つぞといわんばかりのボワっという音を出したりするなどして、より緊迫感が出るようにしました。
『福猫星送り』は、ネコと星マークを1本の線でつながるようにパーツをタッチして回転させ、スパークを走らせて、消した星と同じ色の呪いを消すパズルゲーム
――ネコを題材にした作品が続いているということは、もしや鶴田さんはかなりのネコ好きなのですか?
鶴田:特にネコが好きというわけではないのですが、『にゃお~ん天国』でステージをクリアするとネコがニャーと鳴いてジャンプする演出を入れたときに、その絵を見ているだけでも楽しくなることに気がづいたんです。
以前には『福猫じゃんぷ』という、ネコがジャンプするだけのゲームを作ったこともあります。もうジャンプするだけで面白い、ただそれだけでストレスが解消されて癒されるようなものを目指して作っていました。
――『福猫星送り』では、ステージが進むと敵が呪いで攻撃を仕掛けてくるタイミングがどんどん早くなりますよね? 何か攻略のコツがあれば、ぜひ教えてください。
鶴田:いちばん手前の線からネコに向かってつなぐ考え方と、ネコのいる位置から逆算してつなぐという2通りのやり方があるのですが、まずは最初から線がつながって光っているネコを探してみるといいですね。
もし、つながっているネコを見つけたら、それはチャンスなのでなるべく早く消しちゃったほうがいいと思います。
連鎖の数が少なくても、とりあえず消せるものから消していけば、また新しい線が出てきたときに一方通行だった線が三つ又のものになったりして、またつなぎやすくなるチャンスが出てくるようになりますよ。
味方のネコが全滅する前に、呪いをすべて消すとステージクリアとなる
――『福猫星送り』も基本プレイ無料で、ゲーム内広告によって利益を得る形ですよね?
鶴田:そうです。画面上部に常駐しているタイプと、一定のステージ数を遊ぶごとに表示させる広告とがあります。後者の広告については、あまり頻繁に広告を出すと気分が悪くなりますので、ステージごとに「重み」をつけたうえで適度に出るように作ってあります。
――今のお話にあった「重み」とはいったい何ですか?
鶴田:序盤の簡単なステージと、終盤の難しい緊迫感のあるところのステージとでは「重み」、つまりプレッシャーが違いますよね? ですから、難易度ごとにステージの重みづけをして、その「重み」がある程度たまったタイミングで広告を出すようにしているんです。
それから、さっきお話した『壁蹴りジャンプ』ですが、おそらくプレイ時間を積算して一定時間が経過したら広告を出すようにしてありますね。これは賢いやり方だなあと思います。
――近々公開予定の最新作もパズルゲームだとうかがいましたが……
鶴田:『Symbol Maze』という迷路脱出ゲームです。普通のパズルゲームは、一度解いたらもうそれで終わりになってしまいますが、『Symbol Maze』では一定のステージをクリアするとステージエディットができるようになっています。
さらに自作したステージのデータは、Twitter上でテキストデータに変換してツイートすることによって、ステージデータを見た他のユーザーがインポートして遊べるようになっています。
近日配信予定の鶴田氏の新作は、ステージエディット機能がついたパズルゲーム『Symbol Maze』(※画面は開発中のもの)
――Wii Uの『スーパーマリオメーカー』みたいに、プレイヤー同士で自作したステージを遊べるわけですね。
鶴田:ええ、まさにそんなイメージです。ゲームのタイトルにハッシュタグをつけてツイートしたものを追っていけば、いろいろなステージを楽しめるようになるわけです。
自分で作ったものは当然ながら答えを知っていますから、1人だけで遊んでもしょうがないですね。
Twitter上でのステージデータは絵文字で表示させるのですが、どうすれば3ビットぐらい詰められるかなあなどと考えていたら、何だか昔のファミコンソフトを作っていた時代を思い出しちゃいました。
――まるでファミコン版の『キャプテン翼』にあったスコアメモみたいです(笑)。ところで、本作も基本プレイ無料で、広告収入にて稼ぐ仕組みなのでしょうか?
鶴田:そうです。配信したステージを解き終わった後もステージエディットで続けて遊ぶ人は、きっとパズルが大好きで長期間ハマるだろうなと思いましたので、大きく間口を広げるというよりは、好きな人がとことん楽しめるものにしようと考えて作っています。
タッチやスワイプ操作で、ゴール地点(人型の脱出マークの位置)までボールを誘導するとステージクリアとなる(※画面は開発中のもの)
――それでは最後に、新作の『Symbol Maze』のご紹介も含めて、Game Deetsの読者の方にメッセージをお願いします。
鶴田氏:『福猫』のシリーズでは、どちらかというと気楽に短時間で遊べて、ネコの鳴き声を聞いてストレスを発散させるものを目指して作りましたが、『Symbol Maze』は初めのうちは気楽にできて、なおかつたくさんステージを用意してガッツリと遊べるように作り込むつもりです。
ステージエディットについても、いずれは作者の検索もできるようにしたいなとも考えていますので、配信されたらぜひ一度遊んでみてください!
――本日はいろいろな話を聞かせていただき、ありがとうございました。今後もご活躍をお祈り申し上げます!
1980年代の名作アーケードゲームやファミコン用ソフトを開発したエキスパートが、実は今も現役バリバリであり、なおかつ若い頃と変わらない情熱を持って、スマホ用ゲームビジネスに挑戦し続けていることに驚いた方も少なからずいたのではないだろうか?
実は筆者、鶴田氏をインタビューするのは今回で2度目となる。前回と同じ質問もいくつかさせていただいたのだが、それでもすべての質問に対してていねいにお答えいただき、また自身が少年時代に夢中になって遊んだゲームのお話がいろいろと聞けたこともあって、まさに感無量であった。
急なお願いだったにもかかわらず、快く取材のご協力をいただいた鶴田氏には、この場を借りて厚く御礼を申し上げたい。
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