鉛の波紋──アメリカ史上最悪の水汚染公害から住民を守った科学者
こうした検査について、パラデノはすでに懐疑的だ。フリントの住民の大半と同じように、彼もあらゆる政府側の人間を信用しなくなっている。もし誰かがフリントを救うとすれば、それはパラデノのようにここで育った人々だろう。
しかし彼は、信頼できる人間を見つけることもできた。それは率先して住民たちを助け、フリントで何が起きているのか解明しようとした人物だ。大災害との闘いの最前線に立つ科学者で、みんなのヒーローである。軍服を着た州兵が給水所に水を運び、医療関係者が教会や小学校で採血を行っているようなこの街で、いったい誰が行政が正しいことをしているなんて断言できるだろう? パラデノは言う。「マーク・エドワーズがやってきたとき、役人どもがやるべきことをやっているかどうかがやっとわかったんだ」
奇妙な水漏れ2003年はじめ、カドモス・グループと呼ばれるある下請業者は、環境保護庁(EPA)の委託を受けて奇妙な問題の調査を進めていた。ワシントンDCの住宅区域全域で、水道管に小さな水漏れが見つかる事例が多発したのだ。カドモスはマーク・エドワーズというヴァージニア工科大学の若き環境エンジニアをコンサルタントとして雇った。
漏れが生じているのは家庭向けの銅の給水管に限られているようで、ポリ塩化ヴィニルのパイプや市が管理する配水管に問題は見つからなかった。エドワーズは、市の水道水に問題があるのではないかと考えた。米国では、自治体が供給する飲料水は、水道事業者に微生物や消毒剤の監視を義務づける飲料水安全法によって保護されている。EPAは1998年、有毒な化学物質を発生する消毒剤についての基準を強化した。昔からよく知られている有害物質は塩素だ。塩素の代替品としてよく用いられるクロラミン(実は単なる塩素とアンモニアの化合物)は発がん性物質の生成量こそ少ないが、水の腐食性を強めるため、結果として金属の腐食を起こす。ワシントンの上下水道庁は2000年、消毒剤を塩素からクロラミンに変えている。
被害状況を確かめるために住宅を訪れたエドワーズが目にしたのは、水漏れよりはるかに恐ろしいものだった。腐食性の強い水道水が、給水管と接合に用いられるはんだを溶かしていたのだ。これは鉛を含んでおり、鉛の入った真鍮が使われている水道メーターや蛇口でも腐食が起こっていた。エドワーズが古いアパートの1階にある部屋で水道水の水質検査を行うと、測定値がエラーになった。サンプルを蒸留水で薄めてから測り直すと、鉛の含有量は1,250ppb(parts per billion:10億分率)という結果が出た。EPAが定めた基準値は15ppbだ。
配管の語源は「鉛」鉛は、目立たないが便利な金属だ。硬くて柔軟性があり、比較的採掘されやすい。加工が可能な程度に融点が低く、錆びない。ローマ帝国では配管に用いられていた。英語で配管系統を意味する「plumbing」という言葉は、ラテン語の鉛(plumbum)から来ている。最古のローマ水道であるアッピア水道が完成した紀元前312年当時ですら、その鉛に毒性があるらしいということに人々は気づいていた。しかしピッツバーグ大学の経済学者ウェルナー・トレスケンが自著『The Great Lead Water Pipe Disaster』で説明したように、鉛管には問題もあるが、それを補って余りある利点がある。19世紀の水文学者(地球上の水循環を研究する学者)の間では、湖や泉にコレラ菌が存在することが知られていた。それでも彼らは、都市の生活用水を賄うために大量かつ衛生的な水源を必要とした。鉛の水道管がそれを可能にしたのだ。