【ネタバレあり】映画『ジョーカー』レビュー:監督は「アメコミ映画に化けた本物の映画」って言ってたけど、どうなのよ?

DCコミックスの超人気ヒーローのバットマンの宿敵の誕生秘話を描く映画『ジョーカー』。

近年のアメコミ映画とは違ったアプローチの作品であることに加えて、トッド・フィリップス監督の発言も大きな話題となった今作を紹介します。あんまりオチまでは言及しないものの、ストーリーにはある程度踏み込んだ内容なので、ネタバレが気になる方は映画をご覧になってからお読み下さい。

スコセッシ風サイコスリラー

さて、映画は犯罪と貧困が広がる街ゴッサムで心に問題を抱えながらピエロとして生計を立てていた男アーサー・フレックに災難が降りかかり続け、コメディアンとして再起を図るもどん底から狂気に陥って、次第に自分を貶めた社会への復讐を画策する…といったお話。

とにかくアーサーは災難に合い続け可愛そうで可愛そうで仕方がない奴で、最初はちょっと同情してしまいますが、段々と常軌を逸してきて観客がドン引きする悪党となっていくというかなりサイコスリラーな作りの映画。

監督も参考にしたと語っていますが、明らかにジョーカーを主人公にしたバージョンのマーティン・スコセッシの映画『キング・オブ・コメディ』(有名司会者と知り合いになったからといい気になった売れないコメディアンがスターになったと勘違いして狂気に陥る話)といった雰囲気。

『キング・オブ・コメディ』で狂いゆくコメディアンを演じたロバート・デ・ニーロが、この『ジョーカー』ではアーサーを狂わす司会者役なあたりはかなり狙った作り。同じスコセッシ&デニーロの『タクシー・ドライバー』からの影響も強く、アメリカン・ニューシネマ的とも言える作品です。

言い換えれば、他のいわゆるアメコミ映画と比べるとかなり地味であり、ほとんどアクションもないので、そういった路線を期待した人は面食らってしまう作品だったかも(そのへんは期待させない予告だったけれど)。

またストーリー的な部分で他のDC映画とのつながりはなく、ヒーローも登場するわけではないので、バットマンや他のヒーローが見れる作品でもありませんでした。しかし、この作品の最大の魅力はそこだったとも言えるでしょう。

映画にどんなに怖いヴィランが出てきても、ヒーローが出てくる映画だったら最後はヒーローがかっこよく決着をつけてくれるという期待とある意味の予測が立ってしまうわけですが、この映画はヒーローが影も形も見せてこないので(厳密にゼロかというとそうでもないのですが…)、展開が読めずにストーリーに引き寄せられていきます。

そんな具合に観客を飽きさせないのはストーリーの構造もさることながら、なにより主人公を演じるホアキン・フェニックスの凄まじい演技。この役のために24キロも体重を落としてガリガリになったホアキン・フェニックスが見せる狂気は、アメコミ映画に厳しい批評家たちも絶賛したのは頷けるところ。この辺、デニーロっぽくもありますね。

緊張すると悲しくても笑ってしまう病気の男を演じるホアキンを観に行くだけでも、この映画を劇場で見る価値がありますよ。それだけの凄さ。

また、街は荒廃してるし最低最悪のことが起こり続けるのですが、撮影自体は美しく画として超カッコいい場面が盛りだくさんなのも魅力の一つとなっています。

なのに監督の発言でモヤっとする

といった具合に映画自体はなかなかに素晴らしいのですが、すごく引っかかったのがトッド・フィリップス監督の発言。監督と作品の評価は別という人もいるかもしれませんが、作品のプロモーションの中で監督が語った話はやっぱり気になっちゃうじゃないですか。

【ネタバレあり】映画『ジョーカー』レビュー:監督は「アメコミ映画に化けた本物の映画」って言ってたけど、どうなのよ?

まず気になったのが、この映画が暴力を助長する映画なのではないかという指摘に対して、The Wrapのインタビューの中で今作はそういう映画じゃないとした上で制作のきっかけとして「コミック映画を装って映画スタジオの制作方式の中に本物の映画を忍び込ませたんです。本物の映画を本物の予算で撮って、『ジョーカー』と呼んだんですよ」と発言。

これは当たり前ながら、アメコミ映画のファンならびにコミック制作関係者などからも反発を受けました。そもそも監督は今作はコミックの気に入ったところだけを拾ってストーリーをそのまま追うことはないと以前に語っていて、それに関しては確かにそのとおりだったと思います。

売れない元コメディアンのジョーカーがバットマンと対決するアラン・ムーアの『キリング・ジョーク』やフランク・ミラーが老バットマンの復活を描いた『ダークナイト・リターンズ』などから小さくネタはちょいちょい拾っているのは見てすぐわかります。そして全体的に、正体の掴みどころがないジョーカーというキャラクター性を描けていたと思います。

でも、アメリカのコミックは実のところすべてがマーベルやDCの最近の映画のように世界観がつながっているというわけでもなく、DCやマーベルの作品であっても、時系列などからは完全に切り離された世界で設定や世界観を作家が自分のやりたいように変更して既存のキャラクターの新たな物語を描くというのもよくある形だったりします(そういったものをグラフィック・ノベルと称して売っている時期もありました)。

そして上に上げた『キリング・ジョーク』や『ダークナイト・リターンズ』はDCコミックスにおけるその代表的な例。なのでコミックファンからすれば、すごくDCコミックス作品っぽい映画だなといった印象でもあります。

なぜ監督がこういった発言をしたかは正直わかりませんが、この映画は本物の映画でもあり十分にアメコミ映画だったと思います。

また、監督はVanity Fairでのインタビューで、「昨今のウォーク・カルチャー(社会で起こる差別や偏見などの問題を認識する流れ)の中ではコメディは成立しないという記事がたくさん出ている」と語り、コメディアンたちは怒られないように不謹慎なスタイルの笑いを取らなくなったし、自分もコメディをやめたとしました。その上で、「じゃあ不遜なものをコメディじゃなくやるにはどうすればいいか。そこでコミック映画の世界でそれをやろうと思いついた」といった趣旨のことを語りました。

この発言は映画関係者はもちろんのこと、コメディアンたちからも猛烈な反発を受けて、映画公開直前にも関わらず炎上状態に(執筆現在、これに対する釈明は出ていません)。

ぶっちゃけ自分が知る範囲でも全然そんなことはなくって、いろんなコメディが成立しているし、クリーンなコメディもあればダーティなものもあり、わざと問題発言をする人物として笑いをとるコメディアンもしっかりいます(Netflixなどでもライブが配信されてるアンソニー・ジェセルニックなどはその典型的な人気コメディアン)。

トッド・フィリップス監督はそもそも『ハングオーバー』シリーズや『デュー・デート』といったコメディ作品で知られる人物で、中では今はできないんじゃないかというネタをやっていたりもしますが、そこまで不遜なコメディ一辺倒でもなかったので正直こういうことを言い出すのは驚き。

コメディの現状をあんまり理解していない適当な発言にも思えるし、俺のコメディがウケなくなったのは時代や社会情勢、なによりすぐ怒る客のせいなんだと負け惜しみを言っているようにも聞こえてしまいます。

実はこれ、『ジョーカー』のアーサー・フレックが自分を顧みることはなく、周囲や社会のせいにしてキレてしまうというストーリーともオーバーラップしているのが非常に味わい深い発言だったりもしますね。

この監督の一連の発言はちょっと脇が甘くて、意図もよくわかんないのが残念なところ。こういった発言を鵜呑みにして「この窮屈な世の中を切り開いた作品」とか「もうこれはアメコミ映画じゃない!」みたいな、社会問題を軽視したり根拠なくアメコミを下げたりする的はずれで雑な評価が生まれないと信じたいところ。

アメコミ映画というジャンルの勢いを感じる作品

とにかく意図してか意図せずかはわからないですが、結局の所『ジョーカー』は実にアメコミらしさのあるアメコミ映画だったという感じでした。監督の雑な発言はあれど、素晴らしい作品でした。今までのアメコミ映画はそんなのノレなかったという人でもチェックしてみるといいんじゃないでしょうか。

個人的にはこれから、この作品のフォロワー的なものが作られ、それに対してのカウンターが出てきて、アメコミ映画というジャンルはもっと面白くなっていくのではないかと期待しています。そんな勢いの感じられる作品でもありましたね。

映画『ジョーカー』は現在全国公開中。

Source: 映画ジョーカー公式サイト、Vanity Fair、The Wrap