【深層心理の謎】なぜ、大きな画像はより印象強く記憶に刻まれるのか?

ひさしぶりにその女優の名前を耳にした。すぐにその顔が浮かんでくる。我ながら珍しいことだ。若い芸能人の顔や名前にはめっぽう疎いのだが……。

大江戸線で移動中に「熱帯雨林」の映像がよみがえる

今さっきにあった仕事関係の電話で近々、板橋区にある熱帯植物の植物館を訪れることが決まった。これから手掛ける仕事に少し関係していることで、たとえ短時間でも見学し、施設の写真をいくつか撮ったほうがよいということになった。初めて訪れる施設なので楽しみだ。ここのところそれほど忙しくないし、ちょっとした息抜きにもなるだろう。

電車が新江古田駅に到着してドアが開く。ドアの端に立っていたのだが、このドアから乗り降りする客はいなかった。自分は次の落合南長崎駅で降りるつもりだ。少し停まった後、発車を告げるアナウンスに続きメロディが流れ、ドアが閉じて電車が走り出す。練馬区某所での所用を終えて都営地下鉄大江戸線に乗っているのだが、午後6時になろうとしている電車内は意外にもそれほど混んではいない。

熱帯植物の展示のほかにも、施設には小さな水族館や熱帯雨林に関する展示もあるという。ご存知のように世界の熱帯雨林の面積は年を追うごとに縮小しているといわれている。環境問題への意識を高めるためにもこのような施設と展示は重要であることは間違いない。

「熱帯雨林」と聞いて個人的に真っ先に目に浮かぶのは、初めての海外旅行で訪れたアメリカ・ロサンゼルスの博物館で観たドキュメンタリー映画だ。熱帯雨林で繰り広げられる自然の営みをとらえた映像がIMAXシアターの巨大スクリーンに映し出され、その迫力とインパクトたるやまさに目に焼き付く体験となった。1990年代半ばの話ではあるが、個人的にはこのシアターのスクリーンを超える大きさの映像は今もって体験していないはずだ。

この映像体験以来、「熱帯雨林」の単語を耳目にするとこの時の巨大スクリーンで観た迫力の映像がよみがえってくるようになっている。その映像を忘れることは一生ないのだろう。

さっきから近くの座席に座っている若い女性2人の会話が耳に入ってきているのだが、その話の中にとある若い女優の名前が出てきた。元モデルのその女優の名前を耳にするのは久しぶりだった。すぐにその顔が頭に浮かんでくる。

隠すつもりもないが、実は若い俳優や芸能人、お笑い芸人といった有名人についてほとんど知識を持ち合わせていない。CMなどで目にしたことはあったとしても、どんな人物なのかはほとんどは見当もつかない。

しかしそんな自分でも話に出てきた女優の名前と顔は知っていた。それには理由がある。数年前の話にはなるが、渋谷某所での仕事を終えて帰路に仕事関係者と一緒に道玄坂を下っていたのだが、スクランブル交差点越しに見える渋谷駅の巨大な広告看板に、この女優が大きく映った広告がその時期にあったのだ。一緒にいた者が妙にこの広告の女優(当時はモデルのほうが相応しかったかもしれない)のことを話していたので、自分の中でも名前と顔が一致することになったのである。この時の巨大看板の女優の顔もまた“目に焼き付いた”ということになるのだろう。

大きな画像の方がより印象強く記憶に刻まれている

落合南長崎に到着し、電車を降りる。自動改札を抜けて地上に出るともうすっかり陽が暮れていた。何も考えずに近場の出口から出てきたのだが、目白通りを挟んで反対側には大きな商業施設がある。建物はイルミネーションで飾られていて夕暮れの街で否応なく目立っていた。

※画像はイメージです(筆者撮影)

どこかで何か食べて帰ろうとも思っていたのだが、この施設をチェックしてみてもよいのだろう。駅構内に戻ってみてもよかったがあまり気は進まず、地上を歩き横断歩道を渡って向かうことにする。

周囲の中で目立つこの大きな商業施設もそうだが、巨大スクリーンで目にした熱帯雨林の映像といい、巨大広告看板の女優の顔といい、大きなものには否応なく視線が誘われ、印象強く記憶に刻まれるということになるだろうか。最新の研究でも大きなサイズの画像は小さい画像よりもより記憶に残っていることが示されていて興味深い。


バル=イラン大学検眼視覚科学部およびゴンダ(ゴールドシュミート)学際脳研究センターのシャロン・ギライエ・ドータン博士が率いる新しい研究は、自然な日常行動の中で大きな画像が小さな画像よりもよく記憶されるかどうかを判断しようとしました。彼女の仮定は、大きな画像はそれらを処理するためにより多くのリソースを利用するための視覚システムを必要とするという事実に基づいていました。

【深層心理の謎】なぜ、大きな画像はより印象強く記憶に刻まれるのか?

学術ジャーナル「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載されたばかりの研究結果は、自然な視覚では画像の視覚的記憶が網膜上の画像のサイズによって影響を受けることを初めて示しています。これらの調査結果は、さまざまな種類の電子スクリーンの使用や、大画面と小画面に依存する場合の情報処理の品質など、多くの影響を与える可能性があります。

※「Bar-Ilan University」より引用


イスラエルのバル=イラン大学の研究チームが2022年1月に「PNAS」で発表した研究では、実験を通じて日常生活の中で大きな画像が小さな画像よりもよりよく記憶されるかどうかを検証している。検証の結果、小さな画像よりも大きな画像の方が印象強く記憶に刻まれていることが確かめられたのである。

182人が参加した実験では、さまざまなサイズのさまざまな写真がそれぞれが1回ずつ提示され、その後に視覚記憶を測定する記憶課題が課された。

収集したデータを分析したところ、小さな画像よりも大きな画像の方が約1.5倍記憶に優れていることが浮き彫りとなった。この現象は画像表現の特定の刺激や、画像が表示される順序、画像の解像度、または画像に含まれる情報の量に依存するものではなかった。たとえぼやけた画像でもそれが大きいというだけで、小さくとも鮮明な画像よりもよりよく記憶していたのである。

また同じ画像でも、大きく拡大した画像のほうが小さいままの画像よりもよりよく憶えていたのだ。

巨大なスクリーンで見た映像や巨大な看板広告の写真はやはりよく憶えているということになりそうだ。「熱帯雨林」と聞いてIMAXシアターで観た迫力の映像がよみがえってくるのも至極当然ということになる。

ボリューム満点のステーキをワイルドに頬張る

商業施設にやってきた。少し驚いたのは、落合南長崎駅にはこの施設に通じる出入口があったことだ。つまり駅直結の施設であったのだ。

※画像はイメージです(筆者撮影)

近くで見るイルミネーションもなかなか乙なものだ。年末年始気分を引きずっている場合ではないのだが、寒い時期には特にこうした電飾は目の保養にもなるだろう。1階にはアイスクリーム店やカフェなどがあるが、2階にいくつか飲食店があるようだ。エスカレータ―で2階にあがってみることにする。

2階のデッキから新目白通りを見下ろす景観もいい感じである。この一帯は基本的に殺風景な眺めなのだが、この一角だけは華やかな様相を呈していてまるで別の街のようだ。

※画像はイメージです(筆者撮影)

デッキからは某ファミレス店のガラス張りの店内が見える。ステーキ業態の店だ。わざわざここまでやってきたことだし、ここでステーキを食べて帰るのもいいだろう。入ってみることにする。

店内に入り店員さんの指示に従い検温と手指の消毒を済ませて2人掛けの席に着く。注文はテーブルに備えられているタブレット端末から行うことになる。さっそく端末を手に取る。ワイヤレス端末なので扱いやすい。

熱帯雨林のドキュメンタリーに感動した初めての海外旅行であったのだが、そういえば現地で食べたステーキの大きさもまた印象深かった。一回の食事で1ポンド(約450g)のステーキを食べたのはこの時がおそらく人生で初めてのことだった。滞在中の夕食はほぼステーキだったが、毎回1ポンドで注文していたはずだ。当時の食習慣からは考えられないことで、これも旅の持つ力なのだろう。

ロサンゼルスで食べたステーキを思い出していると、半ば必然的にボリュームのあるステーキを食べたくなってくる。タブレットでステーキのメニューを検討した後、「熟成赤身ロースステーキ」の400gを注文することにした。サラダやスープ、ライスなどが食べ放題になるオプションもつけた。

席を立ちさっそくサラダバーの一角へ向かう。このご時世故に店内の移動中にはマスクは必須で、トングを持つ手には用意されてあるビニール手袋をその都度着けることが求められている。サラダの食材にはキャベツの千切りやレタスはもちろん、ブロッコリーやコーン、オニオンスライスにミニトマト、シシトウやワカメなどよりどりみどりだ。ドレッシングも5種類ある。

サラダとスープ、ライスを持ってきて少し口をつけていたところでステーキが運ばれてきた。当然だがかなりのボリュームだ。この時点でステーキソースを忘れていたことに気づき、再び席を立って取りに行く。慣れていない客ならではの失策である。

※画像はイメージです(筆者撮影)

無事にステーキソースを入手して席に着き、さっそくステーキを頬張る。なかなか噛み応えのある肉で、まさにアメリカの大衆ステーキを彷彿させると言ってもよい。こうした肉でじゅうぶんである。美味しい。

映像や写真と同じく、料理もまたサイズが大きいメニューは記憶に残りやすいのかもしれない。単純に量が多い“デカ盛り”のメニューはもちろんインパクトある見た目になるが、刺身の船盛りや大きな箱に入って出てくるそばなど、提供されるサイズが大きいメニューもけっこう印象強いといえるだろう。アメリカの飲食店は総じて食器のサイズが大きいので、1ポンドのTボーンステーキなどはビジュアル的にもかなりの迫力だ。

サラダを食べ終えたので食事を中断して席を立ち再びサラダバーへ向かう。肉はまだ半分以上残っているので食べ終えるにはもう少し時間がかかりそうだ。それにしてもまだ夕方過ぎのこんな時間にボリューム満点の食事を摂るなんて実に久しぶりのことである。自分にとってかなりイレギュラーな外食ということになりそうだが、はたして今回の大きなステーキは記憶に残る食事体験になるのだろうか。もちろんこれから先の時の経過が自ずから答えを出してくれるのだろう。

文/仲田しんじ