新型コロナウイルス患者を救う人工呼吸器を止めない。そのために、医療用酸素を安定供給する闘いが繰り広げられている
ニューヨーク州クイーンズにあるふたつの病院から4月中旬、新型コロナウイルス感染症の患者が移送された。移送先は沖合に停泊している米海軍の病院船である。どちらの病院も、患者が必要とする量の酸素を人工呼吸器で与えられなくなくなってしまったのだ。
医療用酸素が足りなくなったわけでも、呼吸器自体に不具合が生じたわけでもない。液体酸素を気化させる装置のアルミニウム製コイル部分に問題が発生したのだ。事態の解決にひと役買ったのは、ニューヨーク市消防局の消火用ホースだった。
安定供給が不可欠な酸素
新型コロナウイルスは感染者の肺を攻撃するタイプのウイルスである。このため重篤患者の呼吸を助ける人工呼吸器を全国に供給できるかどうかが、米国政府の不安の種になっている。自動車メーカーや宇宙開発企業のほか、アマチュアのエンジニアたちまでが即席の人工呼吸器メーカーとして名乗りを上げ、増産に力を貸している。
だが、人工呼吸器には医療用酸素の安定供給が不可欠だ。そこで供給側の企業と医療従事者が新たなネットワークを構築し、サプライチェーンの強化を急いでいる。実際こうしたネットワークは、わたしたちには見えないところで形成されていることもあり、このサプライチェーンが注目されることはほとんどない。
酸素の保存と輸送は、約マイナス184℃以下という極度の低温に冷却された液体酸素の状態で行われる。そのほうが安全なうえ、スペースを大幅に節約できるからだ。
ところが、患者の呼吸補助に使うには液体酸素を気体にしなければならない。この際に使われるのが、アルミニウム製のコイルで構成される気化装置だ。装置の異常は、このコイルの表面に空気中の水分がたまって凍結することから生じる。コイルの内側の酸素の温度が低下し、患者に送るべき酸素の流れを制御する部分が機能不全に陥ってしまうのだ。
想定外の事態
所有する気化装置をフル稼働して、かつてない台数の人工呼吸器に酸素を送り込まねばならないとなると、どの病院もコイルについた霜を取り除く暇などなくなる──。産業用ガスの専門家でコンサルティング会社B&R Compliance Associatesの医療システム部長を務めるボブ・サッターは、そのように指摘する。彼はクイーンズの病院で起きたトラブルの解決に貢献した人物だ。
サッターは、「人工呼吸器に休まず働いてもらうことになります」と言う。彼がニューヨーク州の国土安全保障および緊急対策業務担当者に伝えたのは、簡単かつ効果的なアドヴァイスだった。消防局に依頼して、気化装置についた霜を消火用ホースからの放水で吹き飛ばしてもらうよう伝えたのだ。
米国における医療用酸素のサプライチェーンの始点は、米国やカナダにある2,500を超える工場だ。これらの工場では空気から酸素を抽出しているが、そのプロセスは原油からガソリンなどの石油製品を精製する手順に似ている。
石油の場合は液状の原油に熱を加えて気体に変えてから、濃縮して再び液体に戻す。それに対して空気は、極端な低温に冷やすことで窒素、アルゴン、酸素などの成分を液化させるのだ。
業界団体Compressed Gas Associationの会長兼最高経営責任者(CEO)のリッチ・ゴットワルドによると、パンデミックなどの異常時でなければ、医療用酸素の1日当たりの消費量は2,600トンほどだという。「医療用酸素が不足することはあり得ません。そうした事態は想定していません」と、彼は言う。理由のひとつとして、エアガス、リンデ、エアプロダクツといった大手ガス会社が生産量を増やし、国内でも特に患者が多く発生した地域に供給の重点を移していることが挙げられる。
システムの限界を超えた酸素需要
気化装置などの多くの医療機器を備えている病院では、この種のトラブルが発生しやすい。