日下部保雄の歴代ホンダ「シビック」探訪記【後編】

渾身の初代シビックが誕生したのは1972年

 小型車市場への参入に苦戦していたホンダが初めて成功を収めたのが「シビック」だった。F1参入や「S600」などのスポーツカーで一躍風雲児となったホンダは、精緻なメカニズムと常識を覆すようなハイパワーエンジンで世間をアッと言わせていたが、強豪ひしめく小型車ではシビック登場まで営業的なヒット作はなかった。

「カローラ」や「サニー」と言った大衆車がオーソドックスなFRの3ボックスセダンとしていたのに対し、シビックはFFで2ボックススタイルの2ドア+トランクでデビューした。他社よりも長いホイールベースと広い室内、実用性の高いエンジンを開発して渾身の1台が誕生したのは1972年のことだった。

 それまでのホンダは一貫して高回転/高出力エンジンを得意としており、最初の小型車「ホンダ1300」は空冷4気筒のFFで精緻なドライサンプエンジンはまさに工芸品だったが、販売には結びつかなかった。シビックはその反省に基づき実用性と燃費を重視して作られた。独立したトランクを持ち大人4人が乗れるコンパクトカーは、若者のファッショントレンドを引っ張ることになった。

日下部保雄の歴代ホンダ「シビック」探訪記【後編】

 そして世界の自動車メーカーを震撼させた北米の排出ガス規制、マスキー法をクリアしたCVCCエンジンを開発し、最初にシビックに搭載されたこともシビックを歴史上エポックメイキングなクルマにした。北米ではレギュラーガソリンを使える燃費のよいコンパクトカーとして人気が広まり、世界的にもCVCCの希薄燃焼技術は高い評価を受けた。シビックはその後、全車種CVCCエンジンとなっていく。三元触媒の開発で副燃焼室を持つCVCCシステムはそれ以上普及することはなかったが、ホンダの功績は大きい。

 それでもホンダとスポーツは同義語。スポーティなシビックを求める声は高く、それに応えてRSが登場したのは2年後の1974年だった。Racing SportではなくRoad Sailingとの説明だった。いろんな憶測があるが、ホンダとしては高出力エンジンを搭載していないモデルにRacingをつけるのはためらいがあったのだと思う。

 しかしスポーツ魂はホンダDNA、シビックもホンダ系チームの手でラリーやレースに参戦し、特に社員チームのヤマトホンダはカローラやサニーがひしめく激戦のマイナーツーリングカーレースに参戦し、その速さは新鮮な衝撃を与えた。

1972年にデビューした初代シビックは、4ドアセダンが主流の時代に世界各地の人々のためのベーシックカーとしてFF2ボックスという新しい市場を開拓。世界一厳しいと言われた排出ガス規制である通称マスキー法を世界で最初にクリアしたCVCCエンジンを搭載初代シビックのインテリア。ボディタイプはハッチバック(2ドア、3ドア、4ドア、5ドア)とバン(商用車)が用意された。当時の価格は42万5000円~97万1000円(税別)

 1979年にサイズアップされた“スーパーシビック”(2代目)にフルモデルチェンジし、インテリア、エクステリアの質感は大幅に上がった。デザインは初代シビックを踏襲したため、新鮮味はなかったが乗り心地も向上してはるかに乗りやすくなった。このスーパーシビックからシビックのワンメイクレースが開催されて、多くのジャーナリスト、アマチュアドライバーが参戦した。ワンメイクだったために参加コストが下げられ、多くのドライバーにレースの門戸を開いたことは大きい。

1979年に登場したスーパーシビック(2代目)。人気を誇った初代を全面改良し、経済性、居住性、操縦性、静粛性などを一段と向上。ハッチバックのほか4ドアセダン、5ドアステーションワゴンを追加してバリエーションを拡大スーパーシビック(2代目)には4気筒1.3~1.5リッターのCVCC-IIエンジンが搭載されたスーパーシビック(2代目)のインテリア。ボディタイプはバッチバック(3ドア、5ドア)、セダン、ステーションワゴン(カントリー)、バン(商用車)を用意。当時の価格は72万1000円~119万4000円(税別)

 ご覧のように、ホンダのモデルチェンジは2代目続いてキープコンセプトのデザインで、このころは3代目からガラリと変わるのが通例だ。