和田清香インタビュー 「稽古がしたい!」で沖縄から東京へ 音楽活動、劇団、落語?! ひたすらに突き進んだ役者人生を振り返る/『ミュージカル・リレイヤーズ』file.4
「稽古がしたい! 芝居まみれになりたい!」
その一心で沖縄から東京へ飛び出し、現在は役者・歌手としてオールマイティーな活躍を見せる和田清香。人前に出るのが苦手だった内気な少女が、思いがけず受けたオーディションで才能を見出され、知らずしらずの内に芝居に魅了されて今がある。
そんな彼女は、明るく穏やかながらも芯の通った語り口で、ひたすらに突き進んだ役者人生を語ってくれた。
想いを紙飛行機に託して受けたオーディション
和田清香
――前回の『ミュージカル・リレイヤーズ』インタビューに登場された工藤広夢さんが、とにかく和田さんのことを尊敬しているとおっしゃっていました。
彼とはミュージカルアカデミー主催のコンサート『JOYFUL2』(2015年)で初めて共演しました。耳から足が出るんですよ、広夢って! 耳の高さまで足が上がるんです。「なんじゃこの子は! バネでもついているのかい?」というのが最初の印象(笑)。共演はそれっきりなのですが、その後も私が出演している舞台を観て感想を伝えてくれる、かわいい後輩です。
――和田さんは沖縄ご出身なんですか? どんな幼少期を過ごされたのか教えてください。
生まれは栃木で、育ちが沖縄なんです。子どものときにピアノを習っていたのですが、発表会の数日前から緊張でお腹を壊してしまうような女の子でした(笑)。7歳上の姉の影響で、よくテレビにかじりついて『Mステ』(ミュージックステーション)を見ていたなあ。小さいときから歌は好きでしたね。
――11歳のときに、安室奈美恵さんやSPEEDなど人気アーティストを輩出した沖縄アクターズスクールのオーディションを受けていらっしゃいます。
沖縄に引っ越した頃に、『BOOM BOOM』(ブーン・ブーン)という音楽バラエティ番組がティーンエイジャーの中で流行っていました。その番組の企画・制作に沖縄アクターズスクールが関わっていたんです。あるとき番組でオーディションが開催されるという話があり、学校中がその話題でもちきりに。私は人前に出るのが苦手だったのでオーディションを受けようとは思わなかったのですが、当時仲良くしていた友達に「絶対一緒に受けよう!」と誘われ、半ば強制的にオーディションを受けることになったんです。
――お友達からの誘いがきっかけだったんですね。ご家族の反応は?
親からは反対されて。「清香に本当に出来るの?」「授業料だって高いんじゃないの?」というところから始まりました。反対されたせいか、なぜか私も熱くなっちゃって「私とお金どっちが大切なの!?」と反抗したんです(笑)。家の2階に上がって、どれだけ私がオーディションを受けたいかということを手紙に書き、それで紙飛行機を折って1階に飛ばしました(笑)。どうにかして親を説得しないと友達との約束が守れない!と必死だったんでしょうね。そんな小学生でした(笑)。
和田清香
――紙飛行機の手紙を読んで、ご両親は許してくださったんですね。
どうせ受からないだろうし、受けるだけ受けたら黙るだろうと思ったんでしょう。合格してスクールに通うことになってしまうのですが(笑)。
――そこからすぐに芸能活動が始まったんですか?
はい。私の場合はB.B.WAVESというグループにすぐ入ることになって、小6でデビューしました。バラエティ番組や情報番組への出演、コンサートなど、全国を周ってプロモーション活動をしながらレッスンを受ける日々でした。
――では、歌もダンスもお芝居も、沖縄アクターズスクールで学んだんですね。
そうですね。私が入ったときは歌とダンスのスクールでしたが、元々はミュージカルをやっていたスクールなんですよ。それこそ安室奈美恵さんがピーターパンを演じたこともあったそうです。スクールの校長先生(マキノ正幸)がお芝居を大切にされる方だったこともあり、歌とダンスに役作りが求められていたんです。どう歌い、どう踊るか。ミュージカルではないけれど、歌詞の内容から役を作っていくということを教えてもらいました。
――なるほど。そのスクールでの経験を通して、ミュージカルの要素が自然と体に入っていったのかもしれませんね。
そうですね。なので、ミュージカルというものに何の隔たりもなくスーッと入っていった感覚があります。昔と今で違うことをしている感覚は正直ないんです。ふと思い出したのですが、中1のときに『BOOM BOOM』の番組内である歌を歌ったんです。愛するが故に人を殺してしまった女性の歌なんですけど。
――中1でなんて壮絶な歌を……!
本当ですよね(笑)。真っ黒の衣装を着て歌ったんですけど、それが初めて褒めてもらえた曲で、やりがいを感じられた瞬間だったかもしれません。今思うとその頃から、私はお芝居が好きだったんだなあって。
「稽古がしたい!」いきなり飛び込んだ芝居の世界
和田清香
――沖縄アクターズスクールでの活動はいつ頃まで続いたんですか?
17、18歳くらいまでですね。辞めてからは事務所に所属し、シンガーソングライターとして音楽活動を始めました。歌を作ったり、歌ったり、自主制作したり。
――現在はミュージカルを中心に舞台で活躍されていらっしゃいますが、音楽活動からの心境の変化はどういったものだったのでしょうか?
沖縄で歌を歌っていく中で、「お芝居をしながら歌いたい」という気持ちになってきたんです。悲しいことに、沖縄って演劇が身近にないんですよ。劇団四季やファミリーミュージカルの上演はたまにありましたが、沖縄の人が劇場へ足を運ぶ機会は少なくて。そんな状況でも、お芝居をしたいという気持ちが心のどこかにずっとありました。そしてあるとき、YouTubeで舞台の稽古動画を見た瞬間に「稽古がしたい!」と思ったんですよね。お芝居に出たいというよりも「稽古がしたい! 芝居まみれになりたい!」って。それが25歳のとき。決めたら早くて、半年くらいで上京しました。
――では、実際にご自身がミュージカルを劇場で観たのは上京してから?
そうですね。沖縄の知人が東京に来ていたときに帝国劇場へ連れて行ってもらって、『レ・ミゼラブル』を観ました。何しろ「稽古がしたい」という想いだけで出てきてしまったので(笑)、『レ・ミゼラブル』のことも何も知らずに観て、劇場や作品の壮大さに衝撃を受けました。
――初ミュージカル観劇は、帝国劇場で『レ・ミゼラブル』という王道だったんですね。ご自身の初舞台は?
渡辺えりさん主宰のオフィス3○○(さんじゅうまる)の音楽劇に、アンサンブルとして出演しました。『あかい壁の家』というタイトルで、えりさんの他に中川晃教さん、高岡早紀さんなど、錚々たるキャストの方々がいらっしゃいました。
和田清香
――思い描いていた念願の稽古はできましたか?
はい。生まれて初めてのお芝居の稽古は本当に新鮮でした。何を見ても「あ、YouTubeで見たやつだ!」という感じ。稽古場に座ったときの床の冷たさも「これこれ〜!」って(笑)。一般に稽古期間って1ヶ月〜1ヶ月半くらいなのですが、オフィス3○○では本番2ヶ月前からガッツリ若手稽古というものが組まれています。門を叩いたのが3○○だったというのもあって、劇団ならではの濃密な経験ができました。
稽古が始まった時点で脚本はまだできていなくて、「こういうシーンを作るかもしれないから、こういう稽古をしていてほしい」という指示を受け、運動稽古やマット稽古に取り組みました。例えば、石の壁画から描かれている人がメリメリと剥がれて出てくるシーンをつくって欲しい、と言われて2週間くらいひたすら稽古していたりとか……でもそのシーン、ボツになってるんですよ(笑)。
――まさかのボツ(笑)。いきなりすごい作品に出会いましたね。
えりさんに「あなた初めての芝居の舞台なんでしょ? ここ経験したら、もうどこ行っても怖くないわよ」って言われました。今考えると貴重な経験をさせてもらったなと思います。毎日全キャストの衣装にアイロンを掛けるところから始まり、メインキャストの小道具のプリセット、終演後は汗だくの衣装に消臭のためのエタノールを振って扇風機で乾かす、男性陣は舞台監督に怒鳴られながら舞台の設営をして、舞台の仕込みから全て自分たちで。全国ツアーだったので「乗り打ちバラシ」もやりました。1日で搬入して、仕込みをして、本番で舞台に立って、終演後にセットをバラして撤収するというものです。思い描いていた演劇の場に身を置くことができて、すごく幸せな初舞台でした。
――初舞台を経験してみて、この道でやっていこうと心を決めたのでしょうか?
私、小学生のときにお仕事を始めてから今までずっとこれで来てしまっているので、それ以外ってなかなか想像できないんです。YouTubeで稽古動画を見た瞬間に「演劇をやろう」と決めて上京して以降、迷いなくひたすら走り続けてきました。
“第一次爆速女優”が感じた、新たな演劇体験の可能性
和田清香
――コロナ禍を経て、和田さんは2020年7月に落語をベースにした配信オリジナルミュージカル「劇的茶屋」シリーズの『謳う芝浜』初演に出演されました。その経緯を教えてください。
演出家の永野拓哉さんから「きよちゃん、落語って興味ある?」とLINEをもらったのが始まり。落語は観たことがなかったのですが、そこから落語に関する資料を観たり聞いたりしてみたら、これが面白い! 演劇にしようと思った意味がわかりました。落語家さんは一人で何役も演じつつ、ストーリーテラーも担う。音の立て方一つ、間、音程、声色、情調、調子……技術が本当に巧みなんです。俳優がその域までいけたら無敵なんじゃないかな、と思った程。役者としてもレベルアップに繋がるなと感じました。
――落語に加え、「劇的茶屋」は生配信なんですよね。しかも俳優さん自身が演じながらPC周りの操作をするという、ハードの技術面の大変さもあったのではないでしょうか?
そうなんです。3人の役者のZoomの映像を、Vimeo(配信プラットフォーム)を使って配信しました。「いやいや、役者がここまでできるのか?」というところまでやりました。例えば背景替え、音のキュー出し、リバーブの調整、ミュートのオン・オフなど。いつも劇場で技術スタッフさんにして頂いていることを、役者が手元で行っていました。
――配信のための機材一式がご自宅に届くんですよね?
そう、ピンポーンって届くんです(笑)。稽古が近づくにつれ、部屋がどんどんメカメカしい状態になっていきます。お客様が観る映像ではちゃんと作品世界になっていると思いますが、役者が演じているのは日常の空間。なので、最初は切り替えが大変でした。インターホンが鳴っちゃったり(笑)。
【ダイジェスト映像】『謳う死神』(上口耕平・吉田メタル・和田清香)
映像の中で相手役と目線を合わせるために、ある程度目線の位置を決めるんですが、私の場合はそれが空気清浄機でした。空気清浄機に向かって、泣いて怒って笑ってという日々(笑)。あと、配信なのでネット環境がすごく大事。自宅のネット回線が爆速じゃないと、全然映像が届かないということもありました。稽古を経ていくうちに、みんなのインターネット環境がどんどん整っていくんです。私は初演キャストだったので、“第一次爆速女優”と呼ばれていました(笑)。
――コロナ禍をきっかけに様々な配信作品が登場しましたが、中でも「劇的茶屋」は斬新な作品だったと思います。立ち上げに参加されてみていかがでしたか?
舞台でお客様が目の前にいるときに演じるのとは、やはりちょっと違います。画面の向こうに熱を届けるために、ものすごいエネルギー量を使うんです。それと同時に、機器の操作をするために冷静な部分も必要になります。始めたばかりの頃は、自分の芝居の中で再生ボタンを押すとか、セリフを言いながら背景を変えるなんて絶対無理だと思っていました。でも稽古を重ねるうちに、自然とみんなできるようになっていくんですよね。機器の作業が振付になっていくような感覚。段取りを覚えるまでは大変ですが、慣れれば自然と手が動くし、楽しくなっていきました。
――実際に配信を観た方からの反応はどうでしたか?
お客様の言葉を聞くと、インターネット上で一堂に会して同じ作品を観るということに、温もりを感じてもらえたようなんです。別々の場所にいても、同じタイミングで、同じものを観ながら、同じものを味わうという行為がとてもあたたかいと。配信だからこそ日本全国の方に観ていただくことができますし、今後も一つのジャンルとして確立していけるだろうなと、コロナ禍で希望を感じました。
運命的な『H12』、これからも大切にしたい『いつか〜one fine day』
和田清香
――これまでの出演作を振り返って、特に思い入れのある作品を教えてください。
まず、『H12』(2015年、2016年)という作品。Hicoproの企画で、沖縄と東京でコラボレーションして1つの作品を同時製作するというものでした。沖縄育ちだった私は「これ私のための企画じゃん!」と運命的なものを感じたんです。ありがたいことに、私は東京と沖縄の両方に出演させていただきました。このような形で沖縄に恩返しじゃないですけど、ミュージカルを持って帰ることができてすごく嬉しかったです。この作品を演出していたのが、「劇的茶屋」で声を掛けてくれた永野拓哉さん。その後、度々ご一緒させていただくきっかけとなった作品です。
もう1つは、2019年初演の『いつか〜one fine day』という作品。私の中で一番苦しくて、大変で、とてもやりがいのあった作品です。先日、ちょうど再演の2021年バージョンを観て、改めてこの作品に関われてよかったなあと感じました。この作品の魅力の一つは音楽だと思うんですよね。(桑原)まこちゃんが作った旋律は、キーをポーンと叩くだけで不思議と懐かしい気持ちになるし、頭の中に情景が広がるんです。「日本のミュージカルも素晴らしいよ! むしろそこを強みにしていこうよ!」と思いました。『いつか〜one fine day』は、海外のミュージカルが少し苦手な方にも触れやすいミュージカルなんじゃないかなと思います。これからもずっと大切にしていってほしい作品です。
いつか〜one fine day:Music PV【うつしおみ=現人】
――この連載では、毎回注目の役者さんを伺っています。和田さんが注目している方を教えてください。
劇団☆新感線など様々なミュージカル作品によく出演している、森加織さん。彼女とは『レ・ミゼラブル』で共演したのですが、波長がものすごく合うんですよ。とても体の使い方が素敵な人で、アップのときにはいつも逆さまになってます(笑)。コッテコテの関西人で、舞台に立っていても、舞台から降りても、ものすごくパワーがある人。会えば「あ、なるほど」ってわかると思います。パーソナルな部分も含めてすごく活気があって、人を元気にする人ですね。
――「稽古がしたい!」と沖縄から飛び出してきた和田さんですが、これから先はどんなことを思い描いていますか?
稽古がしたいという想いは、今でもメラメラと変わっていません。なので、演劇に触れていくということは生涯変わらないと思います。最近はテーマパークのショーやゲーム音楽などのレコーディングもやらせていただいています。引き続き歌も歌っていきたいですね。役者さんからヴォイストレーニングをお願いしたいというお話をいただくこともあるので、いずれはそういう活動もできたらいいなと考えています。自分がこれまでにやってきたことで、人の役に立てたら嬉しいですね。役者って人生がそのまま映し出される仕事なので、自分の人生のステージと共に、役者としてのステージも上げていきたいと思います。
和田清香
取材・文=松村蘭(らんねえ) 撮影=中原義史